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東京地方裁判所 昭和56年(レ)141号 判決

控訴人 芦垣宣広

右訴訟代理人弁護士 平原昭亮

同 石川良雄

同 外川久徳

被控訴人 甲野花子

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 金子博人

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被控訴人らは、昭和五三年四月一一日以前に、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)の共有持分権を取得して、その共有者となった。

2  本件土地について(一)被控訴人らから訴外宋英夫への宇都宮地方法務局黒磯出張所昭和五三年四月一一日受付第四七七六号所有権移転登記、及び(二)宋英夫から控訴人への同出張所昭和五四年五月一二日受付第六〇二六号所有権移転登記(以下「本件登記」という。)が存する。

3  よって、被控訴人らは、控訴人に対し、本件土地所有権に基づき、本件登記の抹消登記手続を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1、2の事実は全部認める。

三  抗弁

1  控訴人は、被控訴人甲野花子(以下「被控訴人花子」という。)の夫である訴外甲野太郎(以下「太郎」という。)に対し、(一)昭和五三年一〇月一六日、利息月四分・弁済期同年一一月一五日の約定で金六〇万円を、(二)同年一二月七日、利息月四分・弁済期昭和五四年一月六日の約定で金七〇万円を、(三)昭和五四年五月一一日、金八〇万円を、それぞれ貸し付けた。

2  控訴人と太郎は、昭和五四年五月一二日、右1(一)(二)の元利金及び(三)の元金各債権を担保するため、本件土地につき、代金二三七万円の買戻特約付売買契約を締結した。そして、本件土地の登記上の所有名義を控訴人に移転する方法については、同土地につき当時すでに太郎の訴外大山正基(以下「大山」という。)に対する貸金債務を担保する目的で、宋英夫名義の前記請求原因2(一)の所有権移転登記が経由されていたことから、控訴人、太郎及び大山の三者の合意により、太郎が右貸金債務のうち金八〇万円を大山に弁済し、右登記の抹消を得たうえ被控訴人らから控訴人への所有権移転登記手続をする代りに、宋英夫から直接控訴人に対し同土地の売買を原因とする所有権移転登記を経由することとし、右合意に基づいて本件登記を了した。

3  太郎は、右2の買戻特約付売買契約(以下、本件契約という。)の際、被控訴人らのためにすることを示した。

4(一)  被控訴人らは、昭和五四年三月ころ、太郎に対し、本件契約締結についての代理権を授与し、太郎は右代理権に基づいて本件契約を締結したものである。

(二) 仮りに太郎に右代理権が無かったとしても、次のとおり、表見代理が認められるべきである。

(1) (民法一〇九条の表見代理)

(ア) 被控訴人らは、昭和五四年三月ころ、太郎に対し、白紙委任状、印鑑証明書等を預託し、太郎は本件契約に先立って右各書類を控訴人に呈示した。

(イ) 本件契約は、(ア)の各書類によって表示された代理権の範囲内の事項であり、したがって、被控訴人らは控訴人に対し、太郎に本件契約についての代理権を与えた旨を表示したものである。

(2) (民法一一〇条及び一一二条の重畳的適用による表見代理)

(ア) 被控訴人らは、太郎に対し、昭和五二年六月ころ本件土地売却の代理権を、同年八月二〇日太郎が金融業者である前記大山から借り受けた金一二〇万円の弁済を担保するため本件土地に担保権を設定すること及び右担保権設定の合意につき公正証書を作成することの代理権を、それぞれ授与した。

(イ) 控訴人は、本件契約当時、太郎に本件契約締結の代理権があると信じた。

(ウ) 次のような事実があったので、控訴人が太郎に右代理権があると信ずるについては、正当の理由があるというべきである。

イ 被控訴人花子は太郎の妻であり、被控訴人乙山春夫(以下「被控訴人乙山」という。)は太郎の義弟である。

ロ 太郎は、本件契約締結の際、控訴人に対し、被控訴人らが本件契約について承諾している旨述べた。

ハ 被控訴人らは、太郎の控訴人に対する貸金債務について連帯保証したうえ、太郎を通じて控訴人に対し、白紙委任状、印鑑証明書を交付した。

ニ 被控訴人乙山は、昭和五四年三月ころ、控訴人に対し、太郎の控訴人に対する債務を担保するため、本件土地を提供することを承諾していた。

四  抗弁に対する被控訴人らの主張

1  抗弁1の事実は、利息の点を除いて認める。利息は、一五日につき七分であった。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の事実のうち、(一)は否認する。(二)(1)の(ア)は認め、(イ)は否認する。但し、(ア)の各書類は、本件契約とは無関係のものであり、被控訴人らが昭和五四年三月ころ控訴人に対し太郎の債務の一部について連帯保証をしたことに関して交付されたものである。(2)の(ア)は認め、(イ)は否認する。(ウ)の冒頭の主張は争い、イ及びハは認め、ロは知らない。ニを否認する。

ところで、太郎と控訴人間の本件契約は、太郎が昭和五四年五月九日に前記大山から有体動産に対する強制執行を受けたため、大山に対する債務の弁済資金を緊急に控訴人から追加融資(これが抗弁1(三)の金八〇万円の融資である。)して貰う必要が生じ、これに対する見返りとして締結されたものであるから、太郎が被控訴人らから本件契約締結について代理権の授与を受ける余裕が無かったもので、控訴人もそれを認識しながら本件契約締結に応じたのである。

仮にそうでないとしても、控訴人は、担保権設定の実務に精通している者であるから、太郎が右のような緊急の状況の下において右契約の申込をなしてきたときは、まず被控訴人らに対し右契約締結についての意思確認をなすべきであり、しかもそれは電話等によって容易になしえたものである。それにもかかわらず、控訴人は、被控訴人らの意思確認を一切行なっていないのであって、控訴人が太郎に本件契約締結についての代理権があると信じたことについては、少くとも過失があったというべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1、2の事実は、当事者間に争いがない。

二1  抗弁1の事実のうち、控訴人が太郎に対し、(一)昭和五三年一〇月一六日に弁済期同年一一月一五日の約定で金六〇万円を、(二)同年一二月七日に弁済期昭和五四年一月六日の約定で金七〇万円を、(三)昭和五四年五月一一日金八〇万円をそれぞれ貸し付けたことは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右各消費貸借の約定利息は、少くとも当初は一五日につき七分であったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

2  抗弁2の事実は当事者間に争いがない。

3  次いで、控訴人は、太郎が右本件契約締結の際被控訴人らのためにすることを示したと主張する(抗弁3)が、右主張についての判断はしばらく措いて、進んで抗弁4について判断する。

4  まず、控訴人は、被控訴人らが昭和五四年三月ころ太郎に対し本件契約締結の代理権を授与したと主張する(抗弁4(一))けれども、本件全証拠によっても右の主張を肯認することはできない。

5  次いで、控訴人は、本件契約については、民法一〇九条の表見代理が成立する旨主張する(抗弁4(二)(1))。

被控訴人らが昭和五四年三月ころ太郎に対し、それぞれの名義の白紙委任状及び印鑑証明書を預託し、太郎が本件契約に先立って右各書類を控訴人に対し呈示したことは当事者間に争いがない。

そこで、本件契約は右各書類によって表示された代理権の範囲内の事項であり、したがって、被控訴人らは控訴人に対し、太郎に本件契約締結についての代理権を与えた旨を表示したものであるとの主張(抗弁4(二)(1)(イ))について判断するに、一般に人が自己名義の白紙委任状及び印鑑証明書を他人に交付するのは、さまざまな理由に基づく場合があるから、右白紙委任状及び印鑑証明書の所持人がこれらを相手方に呈示したとしても、それだけでは白紙委任状の名義人がその所有不動産につき担保権を設定する代理権の授与を表示したものとみることはできない。のみならず、本件においては、《証拠省略》により認め得る以下の事実《証拠判断省略》。すなわち、太郎は控訴人に対し、前記昭和五三年一〇月一六日付金六〇万円の消費貸借上の債務の履行を担保するため、太郎所有にかかる自動車一台(スカイライン)を、更に前記同年一二月七日付金七〇万円の消費貸借上の債務及びこれとは別にそのころ控訴人から借り受けた金一二万円の消費貸借上の債務の合計金八二万円の履行を担保するため、同じく太郎所有にかかる別の自動車(クラウン)一台をそれぞれ担保として提供し、引き渡していたこと、太郎は、前記六〇万円を借り入れる際、控訴人の求めに応じて、太郎名義の白紙委任状、印鑑証明書各二通を控訴人に交付したが、控訴人は右各書類の使途について、太郎に債務不履行があった場合、担保物件たる自動車を換価処分するために必要である旨同人に説明したこと、その後も太郎は、印鑑証明書の有効期限が切れる三ヶ月毎に、新たな印鑑証明書の交付を受けて、これを控訴人に手渡していたこと、建築業を営む太郎は、その営業の遂行上自動車の使用が不可欠であったため、昭和五四年二月ころ控訴人に対し、担保に提供している自動車のうち一台について担保権を解除して欲しい旨申し入れたところ、控訴人が信頼できる連帯保証人を立てることを条件にこれを承諾したため、妻である被控訴人花子及び義弟である被控訴人乙山の両名に懇請して金六〇万円の限度で連帯保証人となることの了承を得、連帯借用証書に右両名の署名、捺印を得て控訴人に交付したこと、控訴人は太郎に右連帯借用証書の差し入れを求めた際、併せて同人に対し、とくに使途を明示しないで、連帯保証人たる被控訴人らの白紙委任状及び印鑑証明書の交付を要求したため、被控訴人らは控訴人の要求のままに、昭和五四年三月三日太郎を介してそれぞれの白紙委任状(太郎及び被控訴人ら連名のもの、各被控訴人名義のもの)及び印鑑証明書を控訴人に交付したこと(被控訴人らが太郎を介して、それぞれの白紙委任状及び印鑑証明書を控訴人に交付したこと自体は、前記のとおり当事者間に争いがない。)、太郎は前同日控訴人に右連帯借用証書等の書類を交付して、控訴人から自動車(クラウン)一台について担保の解除を得て直ちにその引渡を受けたこと、控訴人と太郎との間の本件契約の締結は、前記大山が同年五月九日太郎に対する債権に基づいて被控訴人花子の経営する美容院の有体動産に強制執行をしたため、太郎が同訴外人に対する債務弁済資金八〇万円の融資を控訴人に求めたことを直接の契機とするものであり、かつ、太郎は、控訴人に対し、右八〇万円の融資を受けるための交渉の過程において、初めて本件土地を担保に供することを申し入れたことを総合して考えれば、被控訴人らが昭和五四年三月三日太郎を介して控訴人に対し、白紙委任状及び印鑑証明書を交付した事実をもって、被控訴人らが本件契約締結の代理権を表示したものとみることは到底できないというべきである。したがって、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の民法一〇九条の表見代理の主張は理由がない。

6  次に、抗弁4(二)(2)の民法一一〇条及び民法一一二条の重畳的適用による表見代理の成否について判断する。

(一)  被控訴人らが太郎に対し、昭和五二年六月ころ本件土地売却の代理権を、同年八月二〇日太郎が前記大山から金一二〇万円を借り受けるにつき本件土地に担保権を設定することの代理権を、それぞれ授与したことは当事者間に争いがなく、被控訴人らが太郎に対し、大山との間の担保権設定の合意につき、公正証書を作成する代理権をも授与したとの点については、これを認めるに足りる証拠がない。

(二)  被控訴人花子が太郎の妻であり、被控訴人乙山が太郎の義弟であることは当事者間に争いがない。

(三)  太郎が本件契約締結の際控訴人に対し、被控訴人らが本件契約について承諾している旨述べたことについてはこれを認めるに足る証拠はない。

(四)  被控訴人らが控訴人に対し太郎の債務を連帯保証するとともに、同人を介して白紙委任状・印鑑証明書を差し入れたことは当事者間に争いがなく、被控訴人らの右保証の範囲が金六〇万円であること、被控訴人らが右書類を交付したのは昭和五四年三月三日であることは前記認定の通りである。

(五)  被控訴人乙山が控訴人に対し、昭和五四年三月ころ太郎の控訴人に対する債務を担保するため、本件土地に担保権を設定することを認めたとの点については、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中にはこれに沿う供述があるけれども、右供述自体原審のそれと当審のそれとの間にくい違いがあって信ぴょう性に乏しいのみならず、太郎が控訴人に対し、はじめて本件土地を担保に供する旨を申し入れた時期は昭和五四年五月ころであることは前記認定のとおりであって、この事実に照らしても右控訴人本人尋問の結果は信用することができない。

(六)  他方、《証拠省略》によれば、控訴人は、本件契約締結当時古物商の他にムサシノローンという名称で金融業を営んでおり、常時二〇人から三〇人程度の顧客を擁し、太郎はその一人であったこと、前記のとおり、被控訴人らは、控訴人の要求に応じて昭和五四年三月三日太郎の控訴人に対する債務の一部金六〇万円について連帯保証したのであるが、もともと控訴人は太郎の債務全額について被控訴人らの連帯保証を求めたのであって、右のとおり範囲を限定した保証しか得られなかった理由は、被控訴人らが太郎の弁済能力について信用をおいていなかったためであり、控訴人もこの間の事情を知悉していたこと、控訴人は本件契約を締結するに際して、被控訴人らの意思を確認する手だてを講じていないことが認められる。

(七)  以上によれば、仮に控訴人が太郎に本件契約締結の代理権があると信じたとしても控訴人がそのように信ずるについて正当の理由を基礎づける要因として主張する事実のうち、当事者間に争いのない事実又は証拠上認定できる事実は、前記(二)及び(四)の事実のみであって、かかる事実のみをもって控訴人が太郎に本件契約締結の代理権があると信じたことにつき正当の理由があると断ずるには足りない。のみならず、前記(六)のとおり、金融業を営んでいた控訴人において、太郎が被控訴人らから信用を得ていない事情を知悉しながら、本件契約締結に際し被控訴人らの意思を確認することなく右締結に及んだことは、控訴人の落度と評さざるを得ない。

してみると、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の民法一一〇条及び一一二条の重畳的適用による表見代理の主張も理由がない。

三  以上の次第で、控訴人の抗弁はいずれも採用することができないから、被控訴人らの本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は正当である。

よって、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法三八四条、九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠田省二 裁判官 小池信行 寺内保恵)

〈以下省略〉

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